滴々閑話 RSSフィード

つまらない話しを時々しましょう。
年代や内容や文体はその都度ことなるでしょうが、
とにかく書き留めることが第一と思っていますのでご容赦願います。
相馬龍久

2012-01-04

鶴岡

01:36

父が弟繁美の文章を褒めて私に聞かせてくれたことがある。正確ではないかもしれないがまだ10代だったわたしにも強烈な情景描写として脳裏に焼き付いている。

「この線路の遥か彼方に東京がある、そう思うと矢も楯もたまらず耳を線路に押し付けた」おそらくゴーという音がして、東京へ向かう列車を想像していたことだろう。また晩年も体が弱く入退院をくりかえしていた。弱った叔父の葉書に「だんだん葉書が大きくなってくる」と書いてあったそうな。もう葉書すら文章で埋められないというこだと、父は解説してくれた。

あまり鶴岡のことばかり書いていると話が進まなくなってしまうが、この兄妹たちが住んでいた近所に 石原完爾の甥や昭和の剣豪佐藤忠三はたまた酒井家の殿様などがいた。私は居酒屋のカウンター越しに色々な人からたくさんの面白い話を40年ちかく聞いていた。

2011-11-20

父もとにかく筆まめな人だった。

01:44

今日、テレ朝の報道番組で北方領土の返還問題について放送していた。戦時中、父はその北のウルップ島でタコツボを掘り飛行場を建設しながら一冬を過ごした。そのことを思い出した。1年前偶然そのウルップ島の飛行場で父が書いていた日記と小説を発見した。極限の状況で創作していたことに感動した。そしてなんと自分は小さい人間かと思い知らされた。死を覚悟しながらも自分のなすべき事を淡々とやっていたのであろう。

また戦後まで北方領土で戦った樋口少将の功績により北海道東部の占領を免れた歴史的事実も忘れてはならない。確かロシアは終戦記念日を9月15日?と主張していると記憶している。

思いだしたが・・父はウルップ島と鮏を題材にした短編を書いていた。わたしはそれを読んではじめて鮏に回帰性があることを知った。父はそれなりに鮏のことを調べていたようである。

2011-11-13

丸谷才一氏叙勲のニュース

00:50

丸谷才一。久々に聞く名前だ。ジョイスに傾倒し日本の私小説を批判した小説家だ。父の弟、相馬繫美と旧制鶴岡中学の同級生だった。叔父は高見順に師事し後に読売短編小説賞を受賞した。私小説的作品が多かった。友人に山口瞳がいた。話はそれたが父の兄妹は山形県鶴岡の丸谷氏の実家丸谷医院で皆生まれたと聞いている。祖父相馬繁治は理系の人で旧制鶴岡中学の教頭だった。にも関わらず家系に文系が多いのは祖母「ふみ」の影響だと思う。父もとにかく筆まめな人だった。